日記2020


2020/08/12

 

3日間にわたって針崎の住宅の温度と湿度を連続的に測ってみました。住宅の外部は2階バルコニー,室内は1階LDKで計測しました。

 

計測日時:8月8日22:00~11日22:00

エアコン:2階エアコン常時ON、1階LDKエアコンON+OFF、1階多目的室エアコン常時OFF

天気:晴れ

 

2階バルコニーの朝の温度は3日間とも40℃を超えていました。50℃くらいになっている時もありました。気温としては高すぎると思いますが、朝は東の日射が直接あたる位置に計測機を置いているせいかもしれません。日射が直接当たらないようにした方がいいかもしれないです。

 

1階LDKの温度の3日間の平均は28.8℃でした。若干高いようですが、室温が29℃くらいまでならそこまで暑いとは感じません。図には、1階LDKの温度の平均値に標準偏差を加えた温度(29.7℃)の線も載せています。室温が30℃になると少し暑いと感じますが、9日と11日の室温は最高でも30℃くらいです。10日の室温は、最高だと31℃くらいになっています。室温が高くなっているのは1階のエアコンを使っていなかった時だと思います。1階のエアコンは付けるときは28℃設定にしていますが、エアコンをONにしていれば、外気温が高い時間帯でも29~30℃くらいの室温に保つことができそうです。今回計測してみて、室内の温度は、28.5℃くらいを目標にして、高くなっても+1℃までであれば快適な状態を保てると思いました。

 

9日、10日夜中の1階LDKの湿度が75%くらいまでに上昇している時がありました.就寝後から夜中は1階のエアコンはつけていませんので、2階エアコンの設定を「毎日みまもりモード」にしていた影響だと思います。このモードだと室温が31℃以上にならないとエアコンが運転しません。11日は夜中から日中にかけて2階エアコンを「毎日快適モード」(標準温度+1℃)の設定で1日中運転していましたが、60~70%の湿度を保っているようです。2階エアコンを「毎日快適モード」にしていれば、1階も湿度を快適な範囲に保てるのかもしれません。3日間の1階LDKの湿度の平均は64.1%、標準偏差は5.6%、平均+標準偏差は69.7%でしたので、概ね60~70%の範囲になっている時間帯が多いことが分かると思います。


2020/08/10

 

針崎の住宅の温度と湿度を連続的に測ってみました。今回は手始めに24時間計測してみました。住宅の外部は2階バルコニー,室内は1階多目的室で計測してみます。

 

計測日時:8月7日20:00~8日20:00

エアコン:2階エアコン常時ON、1階LDKエアコンON+OFF、1階多目的室エアコン常時OFF

天気:晴れ

 

2階バルコニーは東を向いていることから、日の出から急激に温度が上がっています。最高の温度は8:25の39.2℃でした。東の日射はかなり厳しいですね。1階多目的室の温度は、未明からゆっくり上がっていて14:15にピークの30.7℃に達しています。比較的高い温度ですが、お昼から夕方くらいまで1階に滞在者はおらず、1階LDKのエアコンはOFFにしていたためと思います。2階エアコンは常時ONにしていましたが、階段だけでは冷気が1階まで降りにくいのかもしれません。これは生活していて実感しています。次は1階だけではなく2階も同時に計測してみようと思います。

 

外部の湿度は、測ってみるまで知らなかったですが、真夜中の1時くらいから日の出まで90%くらいあるんですね。1階多目的室の湿度は、真夜中は66%くらいで安定していて、日中は60%前後をキープしています。夏場としてはおおむね快適な値になっていると思います。今回計測してみて、室内の湿度が1日中安定した状態をキープできていたのは意外でした。たしかに、7月の大雨が続いた時も、室内でじめじめしているとはそれほど感じませんでした。この理由はよく分かりませんが、気密をしっかりとったおかげのような気がします。ただ、2Fエアコンや、滞在者の数、料理や入浴なども影響していると思いますので、今後も計測をしてみようと思います。


2020/08/01

 

久しぶりに雨がやみ、夏らしい天気になったので、針崎の住宅の温度を測ってみました。今回は赤外線カメラで建物内部の表面の温度を測りました。

 

壁はどの方位も30℃程度でしたが、西側が1℃程度低い傾向にあります。1階多目的室の窓が遮光カーテンをしていましたが最も高く32.4℃でした。この窓は普通ペアガラスにしていて、遮熱性が劣ることは分かっていましたが、測定してみてあらためて実感しました。

 

この部屋以外の3つの窓は31℃あまりでした。意外だったのは、階段室の窓が、庇のあるLDKと2F廊下の窓と大差なかったことです。この3つの窓はLow-Eペアガラスにしています。測定は午前11時頃に行っており、太陽高度が高かった影響もあるかもしれませんが、これがLow-Eガラスの実力なのでしょうか。また、階段室のレースカーテンは遮熱性のあるものにしており、それも功を奏しているのかもしれません。設計時は階段室の温度上昇を懸念していましたが、今日の測定結果では、その他の室と大差ないということが分かりました。

 

2階天井は、壁とほぼ同じか1℃程度高いだけであり、温度上昇は抑えられています。屋根の断熱材と通気層が効いていると思われます。測定日時の気温は30.5℃でしたので、もっと暑くなったときにも測定してみたいと思います。

 



2020/06/22

 

 晴れて気持ちがいい日になりました。北陸自動車道から敦賀JCTで舞鶴自動車道に入り三方五湖スマートICでおりて、福井県年縞博物館に向かいました。舞鶴自動車道は2014年に全線開通した新しい道で、愛知から若狭や舞鶴に行きやすくなりました。福井県年縞博物館は縄文ロマンパーク内にあり、パーク内には若狭三方縄文博物館や再現された竪穴式住居などもありました。

 福井県年縞博物館は、三方湖とはす川に隣接しており、氾濫に備えて1階をピロティ状にし、2階を年縞の展示室にしたようです※1。建物の長手方向をはす川に平行にし、さらに、水月湖の年縞の採取場所の延長線上に建物を配置しているようです※1。

 外観でまず目を引くのが、1階のピロティです。橋脚と桁からなる高架橋のような形態をしています。ただし、1階の柱と2階床梁は、高架橋のように上部・下部で分かれている訳ではなく、一体化されているようです。1階のRC柱は、偏心して配置された2階のRC耐震壁(この壁に年縞が展示されている)の下部と、バランスをとるためでしょうか、その横にも配置されています。

 2階の屋根は、杉集成材の登り梁を鉄骨トラスで支え、トラスをRC耐震壁で支え、登り梁の水下を鉄骨の軒桁・柱で支えるという、複雑なものになっています。豪雪地帯のため1.75mの積雪を考慮しているそうですが、トラスを支えるRC耐震壁が偏心しているため水平力が生じ、その処理が大変だったようです※1。軒桁とそれを支える鉄骨柱は鉛直力のみ負担※1なので、トラスが水平力を受けているのでしょうが、トラスは軽やかな印象で、実際に目にしても正直そうは見えません。さすがです。

 年縞の実物の展示は素晴らしかったです。年縞がおさめられているプレートに、手書きでその当時に起こった出来事(地震が起こった、火山灰がふった、寒冷期だった、など)が書かれている部分があり、それを見るとそのときのこの土地の光景が目に浮かぶようでした。また、年代の数値がかなり具体的に特定さており驚きました。特に寒冷期の影響は大きいようで、気候の変化は植生に変化をもたらし、年縞にもその痕跡(花粉など)が残っているようです。

 帰りにはレインボーラインを通って三方五湖を展望してきました。三方五湖には初めて来ましたが、素晴らしい景色が望めました。

 

※1 日本鉄鋼連盟:「スチールデザイン」、No. 33、2019.

https://www.jisf.or.jp/business/tech/steeldesign/documents/steeldesign33.pdf、2020年6月22日閲覧

 


2020/06/20

 

住宅の引き渡しがありました。こちらの住宅はもともとあった住宅の建て替えですが、隣接する土地にも親戚の住宅を建築することになり、2軒を平行して進めていました。市街化調整区域内の土地なので、あらかじめ都市計画法の許可をとっています。また、土地の測量や分筆も必要でしたので、工事に入るまでの手続や計画を綿密に行っていきました。コロナ禍もありましたが、工務店さんが資材の調達の遅れ等がないようにがんばって進めてくれました。なんとか、この日を迎えられてほっとしています。新しい住まいを末永く使っていただけたら嬉しいです。

 

昨日政府が、県境をまたぐ移動自粛の要請を解除しました。だからという訳でもないですが、明日、福井県年縞博物館に行ってみようと思い立ちました。建築は内藤廣さん設計で興味がありました。年縞とは『長い時間をかけて湖の底などに積もり積もった泥のシマシマ』※1で、福井県若狭町の水月湖の底から『世界のどこにもない、ありえないほど完璧な7万年分もの年縞』※1が採取できたそうで、『その長さは45m』※1とのこと。「年縞」という言葉は聞きなれないと思いますが、それもそのはずで、『2018年1月に出版された『広辞苑・第7版』に初めて収載』※1されたそうです。また、『水月湖の年縞は、1年の欠けもないことから、歴史の年代決定のための国際標準の「ものさし」(IntCal)に採用され、世界の歴史研究に大きな貢献』※1をしているとのこと。

年縞博物館に行こうと思ってから、数年前に知った「人新世」という言葉を思い出しました。人間の活動が、気候など地球のメカニズムに影響を与え、それが地質にも変化を与えようとしている、という見方があるようです。水月湖の年縞がすでにそれをとどめているのかどうかは分かりませんが、貴重な資料であることは間違いないので興味があります。

 

※1 福井県年縞博物館ホームページ、http://varve-museum.pref.fukui.lg.jp/about/、2020年6月20日閲覧.


2020/06/16

 

NHKの「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km」という3回シリーズの番組を見ました。フランス南部から、スペインにあるキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路を、スペイン在住の日本人が歩く様子を撮影したドキュメンタリーです。巡礼の記録の最古のものは951年だそうで、11世紀には巡礼者が多く集まるようになり、12世紀の最盛期には年間50万人の巡礼者が集まったようです※1。現在では、ヨーロッパはもちろんのこと、世界中から巡礼者が集まるようで、番組でもブラジル、台湾、日本などからの巡礼者の様子が紹介されていました。

巡礼者は、巡礼路の途中にある町や村を訪れて、宿泊・滞在し、巡礼者同士で交流もしたりするそうです。厳しい道のりの巡礼ですが、何度も訪れる人も多いようです。番組を見ていて、巡礼路にある町の石造りの素朴な建物に魅了されました。教会も石造りの素朴なものが多く、ロマネスク様式のものが多いようです。そもそも、ロマネスク様式はこの巡礼路に沿って広まったようです。ロマネスク様式は、11~12世紀に広まったとされ、ちょうど巡礼路の最盛期と重なります。ロマネスク様式はいままであまり注目してきませんでしたが、瓦の勾配屋根や、素朴な彫刻・壁画・内部空間になんとも穏やかな気持ちになりました。

 

※1 NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のホームページ、https://www.camino-de-santiago.jp/about-santiago/index.html、2020年6月16日閲覧.


2020/05/31

 

豊田市美術館に行きました。『久門 剛史 − らせんの練習』展、『開館25周年記念 コレクション展 VISION part 1 光について/光をともして』展を観覧。久門さんの展覧会は素晴らしかったですが、図書室に書くことにします。25周年記念のコレクション展も見ごたえがありました。マリオ・メルツの《明晰と不分明/不分明と明晰》は印象的でした。この作品は、1988年に名古屋郊外で行われた個展のため来日したメルツが現地で制作したものだそうです※1。元豊田市美術館副館長の青木正弘さんはメルツ本人との交流を重ね、作品の収蔵にこぎつけたそうです※1。コレクション展の冊子に掲載された写真※1からは、メルツと青木さんの親密さが感じられます。この日は曇り空。アプローチを上がっていくと現れる豊田市美術館が、グレーの空に溶けているようで、その不思議な光景に目を奪われました。

 

参考文献

※1 開館25周年記念コレクション展 VISION III part 1 光について/光をともして 冊子、豊田市美術館、2020.


2020/05/28

 

朝から愛知県西三河建設事務所で許可申請中の物件の補正とその他2件の相談をしてきました。県職員の交代での在宅勤務もあり、担当官となかなか面会できず相談案件がたまってきました。26日に愛知県独自の緊急事態宣言も解除されたので、通常の勤務体制に戻っていくだろうとのことでしたが、まだ影響は残りそうです。帰社後、相談の際指摘された追加の資料、図面をまとめ担当官にメールしました。

ある工務店さんから市街化調整区域での建築の相談があり現場も見てきました。6月には工事着手したいとのことでしたが、愛知県の許可が必要であり、審査が遅延している状況なので、申請から許可に1~2ヶ月かかることを伝えました。その他法令の調査や、許可の事前協議も必要ですのでさらに時間はかかるでしょう。市街化調整区域での建築には時間と手間がかかるのですが、理解をしていただくのはなかなか大変です。

先日購入したNHKこころの時代のテキスト『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』を読み始めました。全6回の放送予定で、第1回放送は視聴しましたが、第2回以降は秋以降に延期のようです。聞き手が若松英輔さんということもあり楽しみにしていた番組です。放送再開を待つことにして、まずはテキストで予習したいと思います。


2020/05/27

 

すまい給付金の申請のため、申請窓口となっている名古屋の住宅瑕疵担保責任保険法人に行きました。実は先日一度申請に行っています。銀行の融資契約書の写しの添付が必要だったのですが、契約の際銀行から受け取った印の押していない「控」では受け付けてもらえず、印の押してある銀行保管の原本の写しが必要とのことでした。銀行に電話し確認したところ、写しを取るのに数日は必要なようで、一度は申請書を持ち帰りました。今日銀行で原本の写しを受け取り、再度申請に来ましたが、今度は問題なく受付ができました。審査は4次まであるようで、給付金の振り込みには2か月程度かかるようです。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、給付金の事務局の事務処理が遅延しており、給付金の振込はさらに遅れるかもしれません。針崎の住宅の登記が完了したので司法書士事務所から完了書類一式と登記費用の請求書を受け取りました。費用は今日の内に振り込み、これでほぼ関連費用の支払は終えました。COVID-19の影響もあり一時は引越延期もやむなしかと思いましたが、なんとか予定通り引越を終え、支払をすることもできほっとしています。


2020/05/04

 

2日にアパートから針崎の住宅への引越、3日はアパートの不要品の回収、そして今日はアパートの退去の立ち会いを行いました。慌ただしい3日間でしたが、これで引越に関する大方の作業は終わりました。針崎の住宅で引越の荷物など整理していたら足の裏が痛くなってきました…。まだ体が慣れていないせいでしょうか疲れもたまっているようです。夜は思ったよりぐっすり眠れているので、これから少しづつ慣れていけるでしょう。


2020/05/01

 

銀行の融資実行と工務店への最終支払を終えました。なんとか予定通り行うことができほっとしています。次は引越をしなくてはなりません。アパートの荷造も概ね終え最終確認を行っています。今日は工務店さんから住宅の引き渡しを受け、都市ガスの開栓の立ち会いをしました。工務店さんから鍵を受け取りこの住宅に住むのだという実感がようやくわいてきました。


2020/04/23

 

針崎の住宅は、銀行との融資契約を行い何事もなければ4月末には工務店に最終支払ができることになりました.ただ現在の状況では「何事もない」という保証はなく気が休まるときがないですね.現場はエアコンの設置と砕石敷きを行い工事は最終段階です.どうにか間に合ったというところでしょうか.5月上旬に〆切の論文の原稿案を修士の学生さんがメールしてくれたので、チェックして返信しました.もう少し今回の研究のポイントを詳しく説明した方がよさそうです.日経ホームビルダーに昨年の台風19号による被害を受け、基礎断熱の高気密住宅が基礎ごと浮き船のように水に流された事例が紹介されていました.このような事例があるのかと驚きました.基礎断熱の盲点の一つかもしれません.対策として、一定の水深に達したら水が流入するようにすること、などあるようです.このような対策をした結果、水が室内に流入した場合も保険支払の対象になるのか確認が必要と思いました.


2020/03/06

 

大学に行き、先生と修士の学生さんと昼食をとったあと来年度の方針について打合せをしました.先生から博士論文の審査スケジュールについて説明を受けましたが初稿の提出が10月末とのことで意外に早い.来年度に入ったらスケッチをしだして、追加の検討事項を洗い出すためにも6月には書き始めようと思います.また、博論の公聴会に向けて場慣れするために発表の機会をつくっていこうと考えています.直近では全国大会の申込があります(4/1締切).概要原稿の作成が必要ですがなかなか気がのってきません…。あとは地震工学研究発表会に少なくとも1編は投稿したいと考えています.延性き裂照査法については変位を用いた評価法の検討を継続、延性破壊解析については構造レベルの供試体での解析を試みるつもりです.変位を用いた評価法は精度に課題があり、その解決はなかなか難しいです.変位を用いたごく簡易的な延性き裂の評価法については研究例がほとんどなく試行錯誤が続いています.


2020/01/08

 

ぼくは、一般的な新築住宅で用いられているような建材(外壁、内壁、天井、床の仕上材など)でつるつる・ぴかぴかしたものが、なんだか苦手です.それはなぜだろうと考えてきました.そのような建築に住んだことがなく慣れていないとも言えます.しかしその「慣れ」がなぜつるつる・ぴかぴかの空間では生じにくいのか?長い間疑問でした.2020/01/05付で記載した『原子力時代における哲学』の感想に、建築と記憶について書きました.建築と記憶という観点で考えてみると、つるつる・ぴかぴかした空間は記憶とつながっていない、ということに気が付きました.そういった建材は、よごれが付きにくいことや変色・退色しにくいことをアピールポイントにしていたりもします.よごれが付きにくいことは、掃除の手間がはぶけ非常に便利です.色が変わらないのも、いつまでも新築のようで資産価値も維持できてよいことです.しかしそれは、建築に生活やその土地の環境の記憶が刻まれにくい、ということでもあるのではないでしょうか.つるつる・ぴかぴかした空間になんとなく違和感を覚えるのは、これまでとこれからの記憶がのこらない、記憶と切り離されてしまったように感じてしまうからなのではないか、ということに思い至りました.また、記憶と慣れということについては、今読んでいる本に参考になりそうなことが書いてあったので、もう少し考えてみたいです.


2020/01/05

 

NHKの日曜美術館でデザイナーの皆川明の特集をみました.東京都現代美術館で開催中の展覧会「ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく」に連動した番組です.展覧会の中の「洋服と記憶」というコーナーで、何年も着られたミナペルホネンの服が、着ていた人の思い出とともに展示されています.服はからだに密着するものですし、人生の出来事とそのとき身に着けていた服との記憶はのこりやすいのかもしれません.皆川さんのデザインする生地には、着ていくうちに表面がすり切れて、その下の生地があらわれるようになっているものがあるようです.生地がすり切れるのは、その服を日常的に長年着ていた証拠ですし、すり切れる場所は着ている人ごとに違うでしょう.着ている人の記憶が洋服に表現されるようなデザインですばらしいと思いました.同じようなことは建築ではよくみられることだと思います.建具やよく触れるところは色が変わっていくものですし、欠けたり傷がついても、そこに人の生活があったことが想像できるような気がして味わい深くなります.雨がかりの外壁や柱などは変色したりしますが、その地域の自然環境の記憶が建築に刻まれていくようで、美しいとさえ思うこともあります.また浸水など自然災害を受けた場合はその痕跡が建築にのこるため、災害の歴史を後世に伝えていくのに重要な役割をはたします.人の活動と環境、その記憶と建築のデザインとの関係について考え続けていきたいです.